洗礼者ヨハネと紡錘棒の聖母子
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「洗礼者ヨハネ」は、一見して奇妙で、不安定な構図の 上に描かれています。ダヴィンチが、晩年、最後まで 手元に置いていた作品ですので、何か特別な意味が 込められているのではと、考えたくなります。まず顔面 の正中線を画面いっぱいに延長してみました。この延 長線は、丁度肘関節を通過しました。次に、肩と手首に 向けて、腕の中心線を描きました。これらは正中線に 対して、それぞれ45°、60°の角度を示しました。 予想通りの展開です。さて、下に表示されているのが、 「紡錘棒の聖母」(1501)です。この画像を「洗礼者ヨハネ」 にそれぞれ実寸大で重ね合わせてみましょう。
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イエスが持つ紡錘棒と、ヨハネの指先がぴったりと 一致し、イエスの右手と左膝が、ヨハネの右手首と 肘に重なります。この合成画像に、例のごとく補助線 を書き加えてみると、次のようになりました。
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イエスの指先が、正三角形の一辺の存在を示しています。 ここでもまた、絵画の制作に先行して描かれた、基本図形 の存在が感じられます。レオナルドにとっての真の表現目標 とは、数学的な(或は自然科学的な)完全調和によって統一 された世界の姿であって、宗教的題材はそれを可視化する ための表層にすぎないと、私には思えてなりませんちなみに、 イエスの指先にある横棒が、ピンク色の補助線に一致して いますが、これは単なる偶然だと思われます。何故なら、 現存するもう一枚の「紡錘棒の聖母子」には、この横棒が 描かれていないからです。おそらく、後年の加筆修正に よって、レオナルドの制作意図とは関係なく付け加えられ たものでしょう。
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洗礼者ヨハネについては、一見して渦を巻くような、螺旋 状の構図が見られます。そこで、黄金比の長方形に内接 する螺旋との関連がないか検証を試みました。
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ヨハネについては、不自然にかしげた顔の正中線と図形の 分割線との一致が見られます。
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また、マリアの右手が螺旋の存在を示唆しているようにも読み取れます。
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これらの絵画が同じ基本図形の上に組み上げられた構図で あるとすれば、そこに黄金比の長方形に内接する螺旋、或は 対数螺旋が描かれていたとは考えられないでしょうか。黄金比 は樹木や巻貝の形態の規則性にも見られます。生物が細胞分 裂を繰り返し、成長を続ける際に、この規則性が現れると考えら れます。当然、人体の比例(プロポーション)にも、この比率は現 れています。人体をモチーフとして画面構成を行う以上、そこに 何らかのかたちで黄金比率が関わってくる事は、むしろ必然とも 言えるでしょう。この事は一方では、図形や黄金比を駆使して、 自然界の図学的調和や法則性を絵画的に記述する際に、人体 というものが格好の素材であることの証左でもあります。今回の螺旋 のアイデア自体は未消化なものですが、レオナルドが人体に向けた まなざし、則ち人体が自然科学的真理を記述する為の素材であると 同時に、それ自体が自然科学的真理を内包するという両義的な まなざし、に気付く契機となりました。
「ダ・ヴィンチは人体の神聖な構造をだれよりもよく理解していた。 実際に死体を掘り出して、骨格を正確に計測した事もある。人体 を形作るさまざまな部分の関係がつねに黄金比の関係を示すこと を、初めて実証した人間なんだよ。・・・頭のてっぺんから床までの 長さを測る。つぎにそれを、へそから床の長さで割る。答えは何だ と思う?・・・1.618。他にも例をあげようか。肩から指先までの長さを 測り、それを肘から指先までの長さで割る。黄金比だ。腰から床ま での長さを、膝から床まで長さで割る。これも黄金比。手の指、足 の指、背骨の区切れ目。黄金比。黄金比。黄金比。きみたちひとり ひとりが神聖比率の申し子なんだよ。」
ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン 角川文庫)から引用



<岩窟の聖母>

<洗礼者ヨハネと紡錘棒の聖母子>

<聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ>

<その他の作品>








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